WORLD FANTASIA
第一話 訪れた災い
もうすっかり冬の空気は去って春の心地よい陽気がやってきた。寒いのが苦手な祐一にとっては嬉しいことであるが、それは同時に厄介な物事も持ってきていた。なんせ陽気がよくなったせいで名雪がさらに起きなくなったので、祐一の苦労も、朝のマラソンの速度も飛躍的に上昇したのだ。
「うぐぅ、名雪さん相変わらずなんだね」
「おう、あれはほんとどうしようもないぞ。何かいい手があれば教えてほしいもんだ」
今日は祐一が新学年に上がってからの最初の休日で、リハビリ中のあゆを車椅子に乗せてデートに出かけていた。といっても車椅子の上にまだ満足に体を動かすこともできないあゆとのデートでいける範囲なんてせいぜい散歩と食事くらいのものでしかない。しかもさすがに暖かくなってきたからあゆが生霊時代によくお世話になっていたタイヤキ屋の親父はもういなかったので今日は秋子さんお手製のタイヤキを持参だ。
「わあ、桜がきれいだね」
「そうだな」
二人が来たのは噴水のある公園だった。ここは少し入り組んだところにあるのであんまり人が寄ってこない穴場なのだ。のんびりするには最適だといえる。
祐一は噴水の縁に座ると背中に背負っていた鞄から、タイヤキの詰まった袋を取り出してあゆの膝の上に置いた。
「さて食うか、秋子さんの手作りだからうまいぞ」
「うぐぅ、久しぶりのタイヤキ、うれしいよ」
あゆはそう言うやいなやたどたどしい手つきで袋の中からタイヤキを出して、食べた。
「どうだうまいだろう」
「おいしいよ」
「タイヤキ屋の親父のやつよりもか?」
「同じくらいおいしいよ」
「む、あの親父、秋子さんと互角の腕を持っていたのか」
祐一が知る限り完璧超人の秋子さんに何かひとつでも渡り合えるというのは祐一にとっては驚き以外のなんでもない。
――さすがはタイヤキハンターあゆが狙っただけのことはある。
少々思考がひねくれているのでそうでもないかもしれない。
「さて俺も食べてみるかな」
祐一は袋の中からタイヤキを出して、かぶりついた。
「うん、やっぱりうまいな」
「二人で食べるとよりいっそうおいしいよね」
二人は幸せであった。だからこそ彼らは気がつかなかった。もしここがもっと人がいる場所であったなのなら、もし彼らがもっと周りに目を向けていればあるいはその災いの足音に気がついたかもしれない。しかしここは人気のない公園で、彼らは互いのこととタイヤキに夢中になっていた。故に気がつかない。ここに人払いの結界が張られたことも、周りの空気の変容にも、そして、自分たちのもとにやってくる一人の男にも気がつかなかった。
「バインダーグラス」
それを避けられたのは偶然だった。時間が来ると強く吹き出す噴水の時間がちょうど来たことで、祐一はあゆの車椅子を動かした。そしてちょうどその瞬間、地面から草が伸び、あゆがいたその空間で交わり、消えていった。
祐一は目の前で起きたそれを見て、一瞬呆けてしまった。
「ちっ」
男が舌打ちするのと、二人がその男に気がつくのは同時だった。
「今のはおまえがやったのか!?」
祐一があゆを後ろにかばうように立って男をにらみつける。
男の容姿はそこいらへんにいそうな若者のファッションで、髪は染めているしピアスはしているしでにぎやかな都会のほうでナンパでもしていそうな感じであった。ただ二人を見る目をのぞいて。そして祐一は今目の前で起きた信じられないものしっかりと見ていた。祐一の本能はその男は危険だといっている。それは舞との夜の校舎での戦いで身につけた感覚で、祐一はその感覚を疑う気はこれっぽっちもなかった。しかし状況が悪かった。自分だけなら名雪とのマラソンで鍛えた足があるが、車椅子に乗ったあゆがいるのだ。しかもあゆは自分で満足に動くことさえできない。一人だけ逃がすことさえもできないのだ。
「ああ、俺がやった」
それがどうしたとでもいう態度で言ってくる男に祐一は飛びかかろうとする自分を必死に抑えていた。
「俺たちになんのようだ!?」
「別におまえには用はない、あるのはそっちの七年の眠りから目覚めた奇跡の少女のほうだ」
「なに?」
祐一の顔がゆがむ。奇跡の少女とは今年の冬の出来事で七年間眠りっぱなしだったあゆが目覚めたことで世間からつけられたあゆの別名だった。正直祐一はあゆがそう呼ばれるのを理解はしていても納得はしていなかった。何よりあゆが見世物になるのが気に食わなかった。
「その少女は実に稀な存在でな、ぜひとも連れ帰って調べたいって頼まれた。おとなしくその子をこっちに渡せ」
「ふざけんな!」
祐一は一気に男のほうに駆け寄って殴りかかった。
「ふん、おまえみたいなやつに何ができる。アースグレイブ」
男が指を伸ばし、上を向けると、地面から三本の柱が生え、そのうち一本が祐一を打った。
「祐一君!」
あゆが叫びに応えるように祐一はすぐに立ち上がった。
「怪我をしないうちに渡しておけ、どのみちおまえでは俺に勝てやしないんだから」
「そんなこと関係あるか」
祐一は男に向けて構えた。できれば武器がほしかったが近くに武器になりそうなものは何もなかったから素手だ。
「ふう、わざわざ助かる命を無駄にするか」
男は両手を胸の前で組み、何かの形を作る。
「大地のマナよ、わが言葉に応えよ、ガイアランス」
男が地面に手をつくと、祐一の左右から先ほどの三倍くらいの大きさの、それも先の尖った柱がその先端を祐一に向けて伸びてきた。
「くっ」
祐一はすばやく体を前に投げ出し、それを避ける。しかし、
「ストーンブリット」
今度は前方から無数の石つぶてが襲い掛かってきた。ガイアランスをかわしたばかりの崩れた体勢のままでそれを避けるのは不可能だった。祐一にできたのはせいぜい腕で自分の頭部と顔を守ることだけだった。
「ぐっ」
祐一は全身につぶてをくらいながら吹き飛ばされた。幸いかばった頭と顔は無事だったのでまだ生きているし、まだ意識もある。しかしまともにくらった体は動かすだけでも激痛が走り、動くのを阻害する。骨も何本かいっているかもしれない。
「まだ生きているのか、丈夫だな。だがしかしその状態では何もできないだろう。よかったな、命拾いして」
男はそれだけいうともはや祐一に興味をなくしたようで、まっすぐにあゆのほうに向かっていく。それを見て祐一は焦った。このままからだが動かなければあゆが連れて行かれてしまう。連れて行かれたらどうなる? まさかこのまま無事でいられるとは思えない。一体何をやらされるのか、少なくともあゆが望むようになることはないだろう。それはいけない。そんなことを許すわけにはいかない。そして何よりこの幸せを奪われることが許せない。しかし何もできない。このまま何もできないままでいるわけにはいかないのに。
――――だったら力をくれてやろうか?
それはいきなり響き渡った声だった。その声にあゆも男も祐一のほうを見た。なぜならその声は祐一のすぐ傍らから発せられたのだから。
祐一がそっちのほうを見ると、そこには金色の輝き放つ光が浮かんでいた。一瞬幻かと思ったが、どうやらそれがほんとに話しかけてきているらしく、次の言葉が聞こえてきた。
――――お前が求めるならばあいつを倒せるだけの力と、彼女を守るための力を与えてやるよ。
「ほ、本当か?」
――――ああ、だがお前はその代わりひとつのものを失うだろう。
「何をだ?」
祐一はその声と話しながら自分がやけに冷静なのに驚いていた。そもそもこの声を信じていい理由などないのだ。もしかしたらこれは悪魔のささやきなのかもしれない。そんなことは理解していた。しかし今必要なのはあゆを助けるための力なのだ。そのためならたいていのものなら失ったっていい。魂が必要なら自分が死んだあとで持って言ってくれればいい。
――――お前が失うもの、それは今までの築いてきた日常。おまえはこの力を手にしたとき、おまえにとっての世界は変わり、日常は今までと違う形を持っておまえのもとに訪れるだろう。
「…それでもあゆといられるんだろう」
――――ああ
「名雪とかとは別れなくちゃいけないのか?」
――――いや、そんなことはない。少なくと今はまだ、これからの成り行きしだいだ。
「ずいぶんいい加減な話だな」
――――仕方ないだろう。しょせんいくら言葉を述べたところで未来は未定なんだから。
「てことは何も変わらないかもしれないんだな」
――――いや、少なくともおまえにとっての世界は変わるだろうな。
「む、それは決定事項か?」
――――少なくとも何とかできるレベルではないと思うぞ。というかそれで変わらなかったらおまえはただ者じゃねえ。
「まあいいや、どちらにしてもこの町に来てからいろいろ変わってきたような気がするし、変わってもあんまり変わらない気がするしな」
――――じゃあ契約成立ということで。とりあえずこの光の中に手を突っ込みなさい。そうすりゃ後はおまえしだいだ。
「オッケー」
祐一の人生にかかわる重要なことのはずなのだが、祐一にはそうとは感じられなかった。なんというかあんまり重く考えないで軽いのりでかまわないと思ってしまう何かがその声から感じられた。
だから祐一はためらわず、迷わずかろうじて動きそうな手を痛みをこらえて光の中に差し込んだ。
金色の輝きに包まれながら、光の中に伸ばした右手に何かが触れた。祐一がそれをためらうことなくつかむと金色の光は白く変わり、祐一の体を伝いながら祐一の両腕に集まっていく。そしてそれと同時に祐一がつかんでいる何かからそれに関しての知識、それの名前、それがなんなのか、そしてそれの使い方、それらが祐一の頭に流れ込んでくる。
男はその光景を黙ってみていた。本来ならばこの隙に目的である月宮あゆの捕獲、あるいは障害になりそうな少年を排除するなりするべきであろうし、男自身、そうしたかった。しかし男は祐一のそばに現れた光の玉を、ひいてはそれを創った者に対して警戒していた。
男はまだこの道に進んでまだ一年、未熟であるが決して愚かではなかった。手柄を前に功をあせることはせずに、ただ冷静に、そして必死に頭を働かせていた。
男にとって最も重要なのは生き延びること。次に月宮あゆの捕獲。最後に情報収集。このうち生き延びることは逃げればいい。先ほどまでのことを考えて光の主は自分を積極的にどうこうしようとはしていないようだからそれは難しくないだろう。だが月宮あゆの捕獲は不可能。おそらくその時には光の主に排除されるだろう。情報収集、光の主に関してはこれ以上の情報を集めることは死につながるだろう。だが今目の前で光に包まれている障害に関してはそうではない。あの光が収まったあと、あの障害がどの程度の障害になるのかを調べる必要がある。先ほどの様子からしておそらく素人、逃げ出す隙はいくらでもあるはずだ。ならば自分がとるべき行動はあの障害の情報収集ののち、撤退。
男が自分のとるべき行動を決めたすぐ後に、祐一を包む光が収まった。
祐一は全身に力が満ちていくのを感じて、立ち上がった。そして自分が右手に持っているものを見た。それは純白の刀身を持った両刃の剣。刀身の根元付近に小さなくぼみがあるその剣の名前を祐一はをすでに知っていた。フォースノヴァ、それがこの剣の銘。そして左手を見ると、いつの間にか四つの宝石のようなものがついている腕輪をはめていた。これもフォースノヴァの一部。この二つをセットとしてフォースノヴァは成り立っている。
祐一はフォースノヴァを構え、男に向きなおる。
「ストーンブリット」
男は祐一が自分のほうを見た瞬間魔法を放った。しかしそれはあくまで牽制、当たるとは思っていない。
男の予想通り祐一は難なく石つぶてを回避した。しかしそれはもはや先ほどまでの祐一の動きではなかった。
フォースノヴァの持つ力の一つ、『強化』によって祐一の身体能力は飛躍的に上がっている。そして治癒能力もまた上がっているためもはや動きを阻む激痛も耐えきれないものではなくなっている。
しかしそれでも怪我が治ったわけでもないので男にとっては捉えられないというほどでもなかった。
「大地のマナよ、わが言葉に応えよ、ガイアランス」
男は祐一がこちらに向かってくるのを見て、自分の使える中では最強の威力を持つ魔法を放った。
だが祐一はそんなものを気にすることなく、フォースノヴァを前に押し出して一気に走ってくる。
当然大地から生えた槍は祐一を貫くはずだった。しかし、槍は祐一の正面に来た瞬間かき消された。
「――――!?」
男はその時になって祐一の剣が光を放ち、その前面に薄い膜を張っていることに気がついた。
それがフォースノヴァの二つ目の力『魔術防御』。
男がそれに気づいたところでもはや祐一は男のすぐ正面までやってきていた。
祐一は剣を横薙ぎに振るった。しかし男はとっさに後ろに下がることで服と薄皮を少々切られる程度に被害を抑えた。
「くっ、やる。これ以上は無理か。アースグレイブ」
男は腕を振り上げ、魔法を放つ。先ほどのアースグレイブとは異なり、今度は祐一を囲むように石の柱が現れる。
「ここは引かせてもらおう」
「逃がすか」
祐一はすぐさま剣を振るうと、すぐさま石の柱は消え去った。しかし、そこにはもはや男の姿はなかった。
「祐一君!」
少し離れたところからあゆが祐一に呼びかける。本来ならば傍に行きたいのだが、好きなように車椅子を動かせられるほど体はまだ動かないので呼びかけることしかできないのだ。
「あゆ、大丈夫だったか?」
「僕は大丈夫だよ、でも祐一君は平気なの?」
「ああ、どうやら大丈夫みたいだ。それよりもこれ、どうしよう?」
祐一は自分が持っているフォースノヴァをあゆの前に出した。
「うぐぅ、そんなこと僕に言われてもわからないよ」
「それもそうだよな。うーん、とりあえず念じてみるか」
「なんて?」
「それはもちろん『消えろ』だ」
胸を張って言う祐一に、あゆはただ呆れるだけだった。
「祐一君、そんなので消えるわけないよ」
「なにぃ! あゆのくせに。よし、よーく見てろ、この剣が消えるところを」
祐一がそういうやいなや、フォースノヴァは白く光りだし、その光は次第に小さくなり、そして最後は祐一の左腕にある腕輪の中に入っていった。
「…………」
「…………」
「……消えたな」
「……消えたね」
思いがけず当りを引いてしまった祐一とそれを見ていたあゆの周りにただただ虚しい風が吹いた。
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