第十三話・約束
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WORLD FANTASIA

第十三話・約束






「ねえ刃さん、祐一君たち大丈夫かな?」

 病院で外出許可をもらい、刃と秋子に連れられて水瀬家にやってきていた。

「まあ大丈夫じゃろ。今日来てくれる昇君も煉君もうちの中でも腕利きじゃからたいした怪我もしないですむように上手くて加減してくれるじゃろう」
「うぐぅ、ほんとに大丈夫かな〜」

 このやりとりもすでに十数回目である。水瀬家についてから秋子は夕食の支度にかかり、刃から祐一たちがどうしているかを聞かされたあゆは刃が何度大丈夫だといってもしきりに心配している。

「ですが少し遅くありませんか?」

 台所で夕食の支度をしていた秋子が尋ねる。
 たしかに時刻はすでに六時を大きく回っている。試験自体はとっくに終わっているはずだし、帰る時間を計算に入れてもとっくに帰ってきてもいい時間だ。今日は水瀬家でお祝いをすると言ってあるから寄り道しているということもないだろう。

「連絡を入れてみるかの」

 さすがに刃も少し心配になってきたので、零課のほうに電話しようと立ったところで、外から複数の人の気配を感じた。そのうち一つがとても感じ慣れたものであることがわかると、刃は再び腰を下ろした。

「噂をすれば影、じゃな」

 刃が口にするのと同時に玄関のドアが開き、祐一たちが帰ってきた。

「お母さんただいま〜」
「おかえりなさい。夕飯はもうすぐできるからちょっと待っていてね」
「うん、私も手伝うよ」

 応える名雪に続いてぞろぞろとみんなが入ってくる。

「おじゃまします」
「はい、みなさんもうすぐ夕飯の支度も終わりますのでリビングで待っていてくださいね」

 秋子はやってきたお客さんたちに一声かけると、台所へと下がっていった。

「それにしても水瀬さんのお母さん若いな」
「ああ、少なくとも高校生の娘がいるとは思えない」
「やっぱそう思うよな」

 斉藤、久瀬、祐一の三人がそんなことを話している間に女性陣はとっとと中に入っていく。

「こんばんは、月宮さん」
「こんばんはです、あゆさん」
「香里さんに栞ちゃん、こんばんは」
「あゆ、大丈夫?」
「うん、最近調子がいいんだよ。先生もこの調子なら半年もあれば普通に歩けるようになりって」
「よかったですね〜」

 香里、栞、舞、佐祐理はあゆのところに行って話し始める一方で、美汐は刃に今日の報告に行ってしまった。よって真琴だけがその場にいない人物を思いついた。

「ねえ、北川は?」
『えっ?』

 その言葉で他のメンバーもそのことに気がつき、辺りを見回すがやはり北川はいない。

「ああ、北川君なら用事があるらしく少し遅れるから先に始めててくれとのことじゃ」
「ふーん、じゃあそのうち来るわけね」
「そうじゃの」

 香里の言葉に刃が頷くと、残りの人間も別にそれでいいかと思い、それぞれの会話に戻っていく。

 それぞれの会話は秋子と名雪が料理を並べ終わったあとも続いた。





「で、これはどういう状況なんだ?」

 遅れてやってきた北川が見たのは刃、秋子、祐一、香里、美汐を除いて死屍累々と倒れている連中だった。

「あれだ」

 祐一はそれから目をそらしながらテーブルの上に並べられた大皿のうちの一つを指差した。その大皿にはデザートのクラッカーが乗せられているだけで、少なくとも北川にはただのクラッカーにしか見えない。クラッカーの上には苺、バナナ、チーズにジャムが盛り付けてあるが、こういう場なら普通のことで特に変わったところがあるわけでもない。

「それがどうかしたのか?」
「北川さんもどうぞ」

 さっぱりわけがわからない北川に、秋子がクラッカーを一つとって差し出した。

「あ、ありがとうございます」

 わざわざ取ってもらったのに断っては悪いと思った北川は空いている秋子の向かいの席に座って秋子からオレンジ色のジャムの盛られたクラッカーを受け取った。そしてそのクラッカーを見て祐一が怯えるように肩を震わせているのが見えたが、特に気にすることなく口に入れた。

 そして口に入れた瞬間固まった。

 だがそれでも直後の北川の行動はすばやかった。
 すぐさまテーブルの上に置いてあるコップを取り、その中に入っている液体を飲んで、また一瞬だけ固まり、すぐに口の中身をその液体と一緒に流し込んだ。
 そしてすぐさま祐一のほうを向き

「相沢、これ酒じゃねえか!?」『なんなんだあれは!? 一瞬意識がとんだぞ!』
「ああ、天野の爺さんが持ってきてくれたんだ。一気飲みとはやるな北川」『秋子さん特性甘くないジャム、通称謎邪夢だ』

 言葉とアイコンタクトの二重会話を始めた。

「まさかみんな酔いつぶれたのか?」『まさかみんなこれの餌食に?』
「あゆ、真琴、舞の三人が喉を詰まらせてな、今のおまえみたいに手近な所にあったのを飲んで倒れた」『栞、佐祐理さんに久瀬と斉藤が犠牲になった』
「じゃあ水瀬は?」『なんで美坂たちは大丈夫だったんだ?』
「ただ寝ているだけだ」『香里は謎邪夢のことを知っていたからな。天野は手をつける前に犠牲者が出た。天野の爺さんも知っていたらしい』
「さすが水瀬、早いな」『まあ天野さんと水瀬の親父さんは友人だったらしいし知っていてもおかしくないか』
「まあな」『そうだな』
「なにややこしい話し方しているのよ」

 突然かけられた香里の言葉は二人にとっていきなり冷水を浴びせられたようなものだった。

「はっはっはっ、香里、こんなわかりやすいものがわからないなんて学年出席もまだまだだな」
「まったくもってそのとおり」

 乾いた笑みを浮かべながらも二人はなんとかしらを切る。
 もちろんそんなことに意味はなく

「ほんと、久瀬君たちよく寝ているわよね」

 次にかけられた言葉で今度こそ二人は完全に震え上がった。
 なぜなら二人が口と目での二重会話を香里の前でやったのは初めてのことであり、香里は初見で見破って見せたのだ。これは二人のことをよく知っているからこそできたことであるが、それはつまり同じくらい二人のことを知っているうえ、香里以上に内面の機微に鋭いあの人も見破っている可能性が十分すぐるほどあるというわけなので

「あらあら二人とも、そんなに気に入ったのでしたら早く言ってくれればいいですのに」

 このあと二人が謎邪夢を山盛りしたクラッカーを山ほど食べることになったとだけ言っておこう。





「う、う、う、………………オレンジは嫌だー!! はっ!」

 夜も更け、そろそろ日付も変わろうという時間になって祐一は目を覚ました。

「あれ? 俺はいったい何をしていたんだ?」

 周りを見回してみるとそこは見慣れた水瀬家のリビングで、どうやら自分はソファの上で寝ていたらしく毛布がかけてある。

「たしか今日は零課に行って、試験を受けてきたんだよな」

 とりあえず今日起きた出来事を思う出しながら記憶をたどっていく。

「んで帰ってきてからみんなで宴会をして、北川が遅れてやってきて……」

 そこまで口にしてから祐一はガタガタと震えだした。その後に食べることになったオレンジ色の物体を思い出してしまったらしい。

「あら祐一さん、起きましたか?」
「あ、秋子さん」

 廊下から現れたオレンジ色の物体の製作者である秋子を見て、祐一の声が上ずった。

「いきなり大声が聞こえたのでどうしたのかと思いました」

 祐一は秋子が寝間着姿なのを見て、今まで秋子が寝ていたのだと気がついた。

「すみません、起こしてしまったみたいで」
「いえいえ、気にしなくていいですよ」

 秋子はいつもどおりの優しい笑顔を浮かべながら答えた。

「ところでオレンジがどうこうと聞こえたのですけど?」

 その言葉に祐一の脳裏に悪夢がよみがえった。

「祐一さんもずいぶんあのジャムを気に入ってくれたみたいですね」

 祐一は自分に訪れるだろう未来に絶望した。こうなったときほぼ確実にあのオレンジの物体が出てくるのだ。
 だが今回に限ってはいささか事情が違った。

「残念ですけどあのジャムはもう残っていないんですよ」
「へ?」
「全部北川さんが食べてしまいましたから」

 その言葉で祐一が固まった。

 誰が何を食べたと言いましたか?

 頭に浮かぶのはその言葉だけで、他に何一つ考えることなどできなかった。

「どうしましたか?」

 固まった祐一を秋子が心配そうに覗き込むと、祐一ははっと我に返り、首を横に振った。

「い、いえ、なんでもありませんよ」
「そうですか。ところで祐一さん、お風呂はどうします? 明日も学校がありますし、朝は入る時間がないともいますけど、今入りますか?」
「あー、そうですね、入っておきます」

 祐一は日ごろの自分の朝の行動を振り返って、そうかもしれないと思い、入ることにした。

「今沸かしますね」
「ありがとうございます。あの、みんなはどうしました?」
「香里ちゃんは栞ちゃんを連れて帰りました。久瀬さん、佐祐理ちゃん、舞ちゃん、斉藤さんは天野さんと美汐ちゃんが送ってくれるそうです。あゆちゃんは私の部屋で寝ています。北川さんは」

 秋子はそこで区切り、リビングを見回した。

「あら、今日はここで眠っていくそうなので毛布をお貸ししたんですけど、いませんね」

 祐一は自分が寝ていたソファーの向かい側のソファーにも毛布が置いてあるのに気がついた。おそらくそこに北川は寝ていたのだろう。

「まああいつのことだから勝手に帰ったりもしないでしょうし大丈夫ですよ。俺は風呂に入る前にちょっと外で涼んできます」
「そうですか、ではお風呂が沸いたらお呼びしますね」
「お願いします」

 祐一は秋子がリビングを出て行くのを見送ると、窓を開けて外へ出た。

「よう北川、生きてるか?」
「お、相沢、生きていたか」
「シャレにならんことを言うな」
「おまえこそ」

 先に起きて外に出ていた北川と祐一は笑いあった。

「まったく、相沢がさっさと倒れるから大変だったんだぞ。あの量のジャムをオレ一人で食べるはめになったんだぞ。どうしてくれる」
「無茶を言うな! というか何でお前はあの量のジャムを食べて平気なんだ?」

 実はこれまでに何度か食べるはめに陥ってしまい、多少耐性ができてしまった祐一でさえすぐに倒れたのに、今日初めて食べた北川が平気なのは祐一にとって納得できるものではない。いや、あれを食べて平気な人間が秋子以外にいること自体が信じられない。

「味覚を完全に遮断したからな。そうするとほかの料理の味もわからなくなるが、まああの状況じゃほかの料理を食べる余裕なんかなかったしな。しかもそこまでしたにもかかわらずめちゃくちゃ気持ち悪い。現在気を使って全力で回復中だ」
「回復できるのか?」
「わからん。さすがにこんな体験はしたことがないぞ」
「そうか」

 それっきり二人は黙り、ただ空を見上げていた。
 もし二人をよく知る者がこの光景を見たら目を疑ったことだろう。それほどまでにこの二人が一緒にいてただ黙っているというのは珍しいことだった。
 だがこの沈黙にも意味はあった。祐一は北川に訊きたいことがあり、北川もそれがわかっている。だからこの沈黙の間は祐一がその北川にそれを言う覚悟のための時間だった。

「祐一さん、お風呂が沸きましたから冷めないうちに入ってくださいね」
「わかりました。あとは俺が自分でやりますから秋子さんはもう寝てください」
「はい、それでは失礼しますね」

 だが秋子が寝室に戻っても、祐一は中に入らない。そして空を見上げるのをやめ、視線を北川の方へと向けて話しかけた。

「なあ北川、俺はおまえの過去に何があったのか知らないし、そんなことどうでもいいと思っている」

 北川は何も言わず祐一の言葉を聞いている。

「多分それは他のみんなも同じだと思う。だけど俺はこれだけは訊いておきたい」
「なんだ?」
「おまえ、本当は強いんだろう」
「ああ」

 即答だった。

「やっぱりそうか」

 祐一が最初におかしいと感じたのは天野家に集った時の事だ。その時北川が見せた力と久瀬の反応、そしてたびたび天野家に入り浸る真琴を孫以上にかわいがっている刃が真琴の修行を北川に一任したことが始まりだった。
 そしてその疑問は修行を経てより強くなり、そして零課での試験を通して確信に変わった。
 美汐同様この世界の家に生まれてきた北川の経験は浅いのだろうか?  疲れきった祐一の体力を回復させられるだけの気を送り込める北川の力は弱いのか?  答えはノーだ。ならば北川が弱いということもありえないのではないかと思うのは自然なことだろう。

「弱いって言っていたのはやっぱり零課が原因なのか?」
「それだけが理由ってわけじゃないけどな」
「そうか」

 零課に追われているから、零課に見つかるから、だからおおっぴらに力を使えない。それが祐一に考えられる北川の事情だ。そしてもし北川のことがばれてしまえば北川はこの街から、いや、零課が日本全土に根を張っているいじょうこの日本から出て行くだろう。そしてそれは祐一たちにとって望むことではない。

「でもな相沢、もしおまえらだけの力だけでどうにかなりそうもなかったり、マジで危険な状態になったら何がなんでも助けるから安心しろ」

 その言葉には嘘偽りはないだろう。だがだからこそ祐一はその言葉が痛い。

「まあそんなことになったら北川よりも先に天野の爺さんが先に動くんじゃないか?」
「まあそうだろうな」

 SSランクの刃が動き出せばたいていの相手はたやすく制圧されるだろうことは想像するにたやすい。特に刃の強さがこの世界でどの辺りにあるのかを知っている北川にしてみれば襲ってくる連中に同情の念さえ持ってしまう。

「さて、それじゃあ俺はそろそろ行くぞ。俺には明日も名雪を起こすという重大な使命があるからな」
「大変だな」
「代わってくれるか?」
「嫌だ」
「そうか」

 二人は一度寝るとなかなか起きない従兄弟及び友人を思い浮かべて思わず笑い出してしまった。
 それは変わらない日常であり、当たり前のものであった。
 だからこそ失いたくなくて、そして、失わせたくない。

「なあ相沢、一つだけ約束してくれ」
「…わかった、何をだ?」

 突然笑うのをやめ、真剣な顔で言い出す北川に、祐一は自分にとってろくでもないことを、けれども大事なことを言おうとしていると感じた。

「たとえ何があろうとも、おまえは誰も殺さないでいてくれ」

 北川は視線を祐一からわずかにそらし、そしてまったく別の遠くを眺めながら言った。
 北川が何を見ながら言っているのか祐一にはわからない。だが自分が北川に答えるべき言葉だけはよくわかっていた。

「当然だ」

 祐一ははっきりと言い切った。以前刃に人を殺せるのかと訊かれた時はわからないと応えた。だがこの世界をわずかにでも垣間見て、そして自分自身の手にもたやすく人を殺せてしまうだけの力を持ってしまった今、答えははっきりと出ていた。

 ――誰も殺さない、と

 殺せる殺せないではない、殺さないのだ。
 ただそれだけ聞くと甘いようにも思える。だがこの言葉は甘えから来た言葉ではない。純粋に考え、自分の求める未来を想像し、たどり着いた答えなのだ。

「そっか、安心した」

 北川は祐一の答えを聞いて満足そうに微笑んだ。
 だが祐一は本当はまだ答え終わっていなかった。なぜなら今の北川との約束にはもう一つの意味があることに気がついていたからだ。
 祐一が殺さないという結論にたどり着いたのは誰か一人でも殺してしまえば元通りの日常に戻れなくなると思ったからだ。祐一はまだいつも通りの日常の中にいて、あくまでこの世界の戦いに巻き込まれた人間なのだ。ならばこの一件が終われば元の生活に戻れるはずなのだ。
 だが北川はもうとっくの昔にこの世界の人間なのだ。北川潤という人間にとってはこの命がけの世界も日常の一部に過ぎないのだ。だからこの一件が終わっても北川はこの世界から解放されたりはしないのだ。
 だから北川は約束を通して、祐一と北川の間に明確な線を引こうとしたのだ。
 そして祐一はまだそのことに関して言いたいことがあった。

「北川、俺もおまえに一つだけ言っておくがな」
「おう」
「俺にとってはおまえも大切な日常の一部なんだからな」

 祐一はそれだけ言って、急いで中に入っていった。
 残された北川は突然のことにぽかんと口をあけて祐一を見送り、そして祐一の姿が見えなくなると、突然笑い始めた。
 その笑い声は遅くまで続いていた。







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