第十六話・戦略的撤退
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第十六話・戦略的撤退
大男は背中に背負っていた物を右手に持ってさくらめがけて突っ込んで、右手の物を振り下ろした。その速さは見かけからは想像もつかないほどで、さくらはまったく反応できなかった。
「ほう、少しはできる奴がいるようだな」
大男が振り下ろした物―――金属製の巨大な棍棒―――はさくらを捉えることができなかった。
「やれやれ、とんだ馬鹿力だ」
棍棒に打ち砕かれたアスファルトの小道を見て杉並がぼやいた。杉並の後ろにはいつの間にかさくらと美咲がしりもちをついた状態で座り込んでいた。
「まったくですな」
大男の横に回りこんでいた瀬場が杉並に賛同する。瀬場の右足は大男のほうに向かって伸びており、足の甲の部分は大男の左腕によって受け止められていた。
瀬場と杉並の二人だけは大男の動きに反応できていた。
男が棍棒を振り下ろす直前、杉並はさくらと美咲の襟をつかんで後ろへと引き、棍棒の落下位置から無理矢理移動させ、瀬場はその間に大男の横に回りこんで大男の側頭部めがけて回し蹴りを放ったのだ。
「大丈夫か? 芳乃嬢、鷺澤嬢」
「あ、はい」
「うん、大丈夫」
二人の無事を確認すると杉並もまた、大男に向かい合う。
それを見て美咲は眞子たちのいる場所に行き、さくらは大男から距離をとった。
「芳乃様、あなたもお嬢様たちのところへ」
大男から離れ、大男と眞子たちの間に立った瀬場がさくらに声をかけるが、さくらは首を横に振って動かなかった。
「大丈夫、ボクも戦えるよ」
「いや、しかしだな」
「サンダーボール」
杉並の言葉をさえぎるようにさくらは雷光をともなう球をつくり大男に向かって放った。単発で、しかも正面から放たれた雷球はあっけなくかわされたが、戦えることを示すには十分だった。
「なるほど、魔法使いもいるのか」
大男もさくらを敵と認識したらしい。大男にとってはたまたま気がついた一般人を殺すだけのつまらない作業だったのだがこの三人に限ってはそういうわけではなさそうだと判断した。
「芳乃嬢、今のは?」
杉並は突然現れた雷球に驚き、それを生み出したのだと思われるさくらに向かって訊ねた。
「魔法だよ。ボクは魔女だから」
「ほう、魔女か。それは実に興味深いな」
杉並はとりあえずその言葉で理解し、興味をさくらから大男へと移した。それだけで引き下がった杉並を見てさくらは少し驚いた。杉並のことだからもっといろいろ訊いてくると思ったのだ。もちろん杉並も魔女という言葉に興味を持ったのだが、いかんせん今がそんな状況ではないということがわかっているので後回しにしたのだ。
「さて、そろそろいいかな?」
大男は棍棒を肩に担ぎ上げた状態で杉並に向かって尋ねてきた。どうやらこちらの会話が終わるまで待っていてくれたらしい。
「ああ」
大男に答えて杉並は構えた。
最初に動いたのは瀬場だった。瀬場は大男の側まで移動し足を払う。大男はそれを足を上げることで避け、逆に瀬場に向けて蹴りを放つ。だが瀬場はそれを受け流し、今度は頭をめがけて拳を振るう。それに合わせて駆け寄ってきていた杉並が大男の足を払う。上と下の同時攻撃に対して大男は瀬場の拳を左手で、杉並の蹴りを右足のすねで受け止めた。すると今度は三人の両脇を雷光が駆け抜けていった。もし大男が二人の攻撃を受け止めずに横に避けていたら雷光をくらっていたであろう。
「サンダーボルト」
さくらが新たに雷光を呼び出すと杉並と瀬場は横に移動し、射線からはずれ大男が避けないように両脇に立ちふさがる。それをみた大男が棍棒を振り上げると二人は大男から距離を取った。その間に雷光は放たれ大男に襲い掛かる。だが大男はそれに対して棍棒を雷光に向けて叩きつけた。雷光は棍棒に打ち据えられてあっさりと霧散した。
「嘘!?」
それを見てさくらは驚きの声を上げた。雷光を金属の棍棒で打ち据えるなど普通に考えてできるはずがないのだ。
「今のはなかなかいい攻撃だったな」
大男の言葉に杉並と瀬場は冷や汗をかいた。大男にとって今のはまだまだたやすいことであり、自分達よりもはるかに強いことがわかったからだ。おそらく三人がかりでも勝つことはできないだろう。
「さてセバスチャン、どうしたものだろうか?」
「さすがに今の状況では相手にできませんな。やはり逃げるべきでしょう。もっとも、あちらが逃がしてくれればですが」
「たしかに、俺らはともかく水越たちは逃げられるとは思えないからな」
杉並も逃げ足には自信があるが、後ろにいる眞子たちを連れて逃げるとなるとさすがに無理だ。自分達が時間を稼いでいる間に逃がせばいいのだが、この大男に仲間がいればそれにつかまって終わりという可能性もある。
「しかたがない。セバスチャン、水越たちをつれて逃げてくれ」
「いえ、時間稼ぎならばわたくしめが」
杉並と同じ結論に達した瀬場が自分が残るというが、杉並は首を横に振って答えた。
「いや、それではダメなのだ。俺も自分の身ぐらいならば守れる自信があるが、水越たちを守れるほどではない。この中で水越たちを守れるのはセバスチャンしかいない」
「…かしこまりました」
杉並の言葉に反論できなかった瀬場はおとなしく眞子たちの場所まで下がり、四人に向けて何かを話している。逃げることを伝えているのだろう。
「問題は俺たちがどこまで戦えるのかということだな」
「そうだね」
三人の中で最大の戦力である瀬場が抜けたことによって杉並とさくらにかかる負担は一気に増える。杉並は大男の動きにかろうじて反応できるがダメージを与えることはできそうもない。さくらは当たれば倒せるかもしれない攻撃はできるが、大男に反応することができない。この状況では足止めさえも満足にできるかどうかわからなかった。
「なるほど、戦闘力のない人間を逃がすのか」
大男は瀬場に連れられて去っていく眞子たちを見て言った。
「だがおまえら二人だけで俺の相手ができると思っているのか?」
「なに、なんとかなるだろう」
「ほう」
そんなことはないとわかっているはずなのに余裕を見せる杉並に大男は素直に敬意を表した。
「念のため名を訊いておこうか?」
「杉並勇」
「芳乃さくら」
「そうか、俺の名はガーランド・フォルスター」
堂々と構えて答える二人に大男は笑みを浮かべながら名を名乗った。だがその直後、大男の顔は寂しそうなものに変わった。
「だが残念だな。あの人間達がいなくなったことでトラップが発動してしまったようだ」
「何?」
杉並がガーランドの言葉に眉をひそめ、問いただそうとすると、突然地面にいくつもの光が走った。光はそれぞれ円を描き、その中心には文字が浮かび上がる。杉並は今の状況から、さくらは知識から、それが魔方陣の類であることを理解した。その数およそ二十、いかなる現象が起きるのかと杉並は息を呑んだ。だがさくらは何が起きるのかわかった。知識からではない、経験から、それもついさっき杉並たちと合流する直前に経験したことからだ。
「あいつらが出てくるんだ」
さくらが呟くのと同時に魔方陣は消え、その代わりに魔方陣の数と同じだけの人影があった。いや、それを人というのは間違いだろう。たしかにそれは二本の足で立ち、二本の腕を持っているが、その姿かたちは別の物だ。全身は真っ黒な、それでいて光を反射して鈍く光るうろこに包まれ、横に大きく開いた口からは長い舌が伸び、そして両手の先からは鋭く尖った爪が伸びている。さくらも杉並もそれを表す言葉を知っていた。それを表す名前はリザードマン、世の中に流れている物語の中で出てくる蜥蜴人間であった。
「さすがにこれはまずいな」
「うん、てっきりあの男の人がいる間は出てこないと思っていたのに」
「む、その言い方だと以前にも見たことがあるように感じられるが?」
「杉並君たちと合流する前に一度襲われたから」
「なるほど、となると先ほど見た放電現象は芳乃嬢の仕業か?」
「実はそうなんだよね〜」
危険な状況にもかかわらず二人には余裕が感じられた。それにはしっかりとした理由があった。ガーランドが棍棒をしまい、杉並たちから距離を取ったのだ。そしてさくらの話からこのリザードマンはガーランドよりも弱いと推測できる。少なくともさくら一人で何体か倒せる程度には。また、囲まれたということは逃げるときにはそのうちの一方を破ればいいということでもある。唯一の問題はガーランドが瀬場たちを追っていかないかということであるが、ガーランドの様子を見る限りではそれもなさそうである。
「さて芳乃嬢、そうやらあの男もこちらを追う気はなさそうだ。ならばとっとと逃げたいのだが、どこか破れそうか?」
「うん、このくらいなら何とかなるよ」
さくらは手を合わせて魔法を紡ぐ。
「汝が名は雷、天より与えられし裁きの力、我が呼び声に応え全てを打ち破る力となれ」
詠唱を始めたさくらに向かってリザードマンたちが襲い掛かる。だが杉並はその間に立ちふさがり、リザードマンの攻撃を捌いてみせる。
そして魔法は紡がれ、その力を示す。
「ライトニングボルト」
サンダーボルトと比べてはるかに大きな一筋の雷光が駆け抜け、その間に存在したリザードマンを焼き払い、道を作り出した。
それに合わせて杉並は懐から何かを取り出し、ガーランドめがけて投げつけた。ガーランドはそれが自分のところからわずかにずれているのを見て取ると、念のため少し後ろに下がった。そしてそれはガーランドの手前の地面にぶつかると突然破裂した。
「む?」
杉並が投げつけたのは愛用の煙玉だった。
ガーランドはすぐさま横へと走り、煙の外へと出た。だがその時にはすでに二人は逃げ出し、かなりの距離を開けていた。
追いつこうとすれば追いつける。ガーランドはそう判断したが二人を追うことはやめた。どちらにしろいずれは再びやってくる。
ここで追いかけて倒すよりも何かしらの対策を練ってきた連中の相手をするほうが楽しいと判断した。
「それではゴミを片付けておくか」
ガーランドは二人を見送り、残っていたリザードマンを一つ残さず叩き潰した。
ひとまず先に逃げていた眞子たちは瀬場の乗ってきた車に乗り込み、月城邸を目指していた。杉並とさくらのことが心配であったが瀬場の「大丈夫です」という言葉を信じて待つことにした。
美春の携帯が鳴りだした。
「はい、もしもし?」
「わんこ嬢、今どこだ?」
電話をかけてきたのは杉並だった。
「杉並先輩、無事だったんですか?」
「当然だろう、何を言っている」
美春の言葉を聞いて瀬場以外の全員が美春のほうを見た。瀬場も前を向いたまま、耳だけはそちらに向けておく。
「それよりもだ、車の音が聞こえるがもしやセバスチャンの車の中か?」
「は、はい、瀬場さんの提案でひとまず月城さんのお家に行くことになりましたので」
あの場を逃げ出してすぐ瀬場は全員に何かあったときによく知っている場所にいたほうが対処しやすいと伝え月城邸に行くことを告げていた。
「ではセバスチャンに芳乃嬢の家に来るように伝えてくれ」
「え、芳乃先生のお家にですか?」
「そうだ、場所は分かるな?」
「え、えっとたしか音夢先輩の隣でしたっけ?」
「そうだ、よろしく頼んだぞ」
杉並はそれだけ言うと電話をきったらしく、音声が途切れた。
「え、杉並先輩、もしも〜し?」
当然のことながらまったく反応がない。
「天枷様、杉並様はなんと?」
「なんでも芳乃先生のお家に来てほしいそうなんですが、なんででしょう?」
美春はわけがわからず首を傾げるが、もちろんそんなことここにいる誰にもわかりはしない。瀬場もなぜさくらの家に呼ぶのかわからなかったが、杉並を信じているのでその通りにするつもりであった。
「わたくしは芳乃様のお宅を知らないのですが、誰かお分かりになられますか?」
「たしか朝倉の家の隣だったわよね、それなら分かるわ」
「美春も分かります」
美春と眞子が手を上げた。
「ふむ、それでは水越様にお願いしましょう。天枷様と鷺澤様はお嬢様をお願いします」
「はい、わかりました」
「わかったわ。あ、そこを右に曲がって」
こうして五人はさくらの家へと向かった。
「よいしょ、よいしょ……」
ことりは純一が大丈夫そうだと判断した後、物置に戻って散らかった物を整理していた。物置から出した量はかなりのもので、純一が出している間にもさくらとことりの二人が揃えていたのだが、それでも十分な量があった。そして物置にはまだ外に出ているもの以上の量が残っていた。純一が倒れた以上今日中に終わらせることは無理であろう。
「あれ? この箱は?」
ことりは見覚えのない木箱を見つけた。その木箱は純一の頭に当たった木箱なのだが、その時のことりはそれどころではなく見逃していたのだ。
そしてことりが興味をもったのはただ単純にその木箱に見覚えがないというだけではなかった。逆さまにひっくり返ってしまっている木箱には鍵らしきものがついていなかった。持ち上げて上下を元に戻しておいたがやはり上にも鍵はない。それどころか取っ手もない。四つの面をぐるっと一回りするように溝があり、蝶番がついているからそこからあけられるというのは分かるのだが、いくら力を入れても開かない。
しかたがなく諦めたことりはそれでもその木箱に興味が湧いたので脇に避けておき、他の物を整理することにした。
だいぶ整理が終わったころになって突然来客を告げるチャイムが鳴った。
「はーい」
ことりは玄関に回り、扉を開けた。
「あれ、白河さん?」
「水越さん? それに美春ちゃんに鷺澤さんも、どうしたの?」
眞子たちはまさかことりがいるとは思っていなかったし、ことりも眞子たちが訪ねてくるとは思っていなかったので驚いた。
「う、うん、ちょっと訳ありでね。杉並の奴が芳乃先生の家に行けって言うから。それより白河さんはどうして芳乃先生の家に?」
「私は朝倉くんと一緒に芳乃さんの家にお邪魔していたんですよ。ですけど芳乃さんは外に飛び出していってしまったんでいませんよ」
「ああ、芳乃先生だったら今杉並と一緒にこっちに向かっているはずだから。そういえば朝倉もいるの?」
「うん、朝倉くんが芳乃さんの家に用事があったみたいですから」
「あ、そうなんだ」
「水越様、その方は?」
会話の節目に入ったところを見計らって瀬場が訊ねた。
「あ、この人は白河さん、隣のクラスの人で朝倉の彼女」
「はじめまして、白河ことりです」
「これはご丁寧に、わたくし瀬場と申します。こちらのアリスお嬢様の元で執事をやらしていただいております」
「…月城アリスです」
「瀬場さんに月城さんですね。よろしくお願いします」
三人の挨拶が終わるとことりはどうしたらいいんだろうと悩んだ。
「う〜ん、とりあえず上がりますか?」
そしてとりあえず五人をさくらの家に上げることにした。
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