第十九話・魔導書
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WORLD FANTASIA

第十九話・魔導書






「それでは朝倉、月城嬢のことは頼んだぞ」
「おまえこそことりたちをしっかり送り届けろよ」
「ふ、俺とセバスチャンに任せておけ」

 結局あの後ほとんど見通しが立たないまま、解散することになってしまった。とりあえず決まったことといえば杉並と瀬場が独自の判断で必要だと思われる道具を揃えておくことぐらいだ。
 だが解散するにあたって問題となったのがこのままばらばらになって襲われないかということだ。これには瀬場が一人一人車でみんなを送ることになった。一人でも大丈夫そうな杉並も念のために一緒に行くことにした。そして瀬場がいなくなると家に一人になってしまうアリスは安全のためさくらの家に泊まることになった。美春もアリスに付き添って泊まっていくらしい。

「芳乃様、お嬢様のことよろしくお願いいたします」
「大丈夫だよ、この結界の中なら安全だから」
「バイバイ朝倉くん、また明日」
「じゃあね朝倉」
「朝倉君、芳乃先生、さようなら」

 瀬場の運転する車に乗って杉並たちが帰っていく。

「それじゃあそろそろ戻ろうか。お兄ちゃんも夕ご飯食べていく?」
「そうする」

 車が見えなくなると四人はさくらの家に戻ろうとしたが、突然純一が立ち止まって道の角の方を振り向いた。
 誰かに見られていたような気がしたのだがそこには誰もいなかった。

「お兄ちゃんどうしたの?」
「いや、きのせいだろ」

 純一はもう一度だけ角の方を見て誰の姿も見えないのを確認すると、さくらの家に入っていった。





「気づかれたか?」

 純一が見ていた角の隠れていた零也はすぐに動けるように身構えていたが、純一が家の中に入ったのを見て構えを解いた。
 純一が感じた通り、零也はそこから純一たちが出てきてから戻っていくまでを一部始終見ていたのである。

「しかしこれじゃああそこの結界を調べるのは無理だな」

 零也がここに来たのはここに純一たちがいるのを知っていたからではなく結界を調べる為に来たのだ。だから見かけてもわざわざ手を出そうとは思わなかったし、下手に調べて気がつかれても面倒なので、さっさと帰ることにした。





 純一とアリスは居間に戻りのんびりとさくらと美春が夕飯を作り終わるのを待っていた。
 二人とも料理が得意でしかもアリスというお客さんもいるので手の込んだものを作るつもりならしく時間がかかるらしい。その間特にやることもないので純一は瀬場やさくらの話を思い返してみることにした。
 初音島を覆う結界のこと、中心にあるばあちゃんの桜のこと、三人組の男のこと、そしてこれからどうするかということ。だがわからないのは彼らの目的だ。
 さくらはばあちゃんの桜だと思っているようだが純一にはあの桜がそこまで重要な物だとは思えなかった。たしかにあの桜はばあちゃんが残した物で純一やさくらにはとても大切な物だ。だがそれはあくまで二人がばあちゃんの孫だからであり関係のない第三者にとっては意味のない物である。不思議な力があるとはいえ桜の花びらが散ってしまっていては何の力もなくなってしまう。それに今年は桜が咲いても他人の夢を見てしまうことはあったがことりの持っていた心を読む能力は出てこなかったらしい。もはやその程度の物になってしまった物に興味を示し、手に入れようとするのだろうか?

「なあ月城」
「はい」
「桜公園の桜、欲しいと思うか?」

 純一の唐突な質問にアリスは少し考えてから

「庭にあったら綺麗だと思う」

 と答えた。

「そうか」
「でも、公園に行けば見れるから」
「そうだよな、別に持っていくほどの物じゃないよな」

 別に桜が初音島にしかないわけじゃない。日本のいたるところに桜はあるし、ばあちゃんの桜よりも綺麗な物もあるはずだ。一年中咲き続けていた頃に来るならばともかく普通に枯れるようになってからわざわざ来る必要はない。

「……かったりぃ」

 どちらにしても考えるだけ無駄なのだ。結局のところ目的がなんであれ純一も桜を守らねばならないことには違いはないのだから。

「ところでさっきから何しているんだ?」

 純一はアリスが持っている物を見て訊ねた。
 アリスは居間に入ってから純一たちが話し合っている間ずっと美春が持っていた箱をいじっていた。

「蓋が開かないの」
「蓋?」

 純一が訊き返すとアリスが箱を差し出してくる。それを受け取って眺めてみる。
 大きさは手に乗るほど小さくないが片手でもてないほど大きいわけではない。空かないというから箱根細工のような仕掛けがあるのかと思ったがそういうわけではなく側面の一つには普通に蝶番がついている。そして四つの面を一周するように溝があり、いかにもここが開きますという感じになっていた。そしてどこを見ても鍵のようなものはなかった。

「これが開かないのか?」

 アリスが頷く。

「ふーん、どれ」

 パカッ

 純一がためしに溝に手をかけて蓋に当たる部分を持ち上げてみると、抵抗なくあっさりと開いてしまった。

「…………」
「…………」

 どことなく気まずい沈黙が流れる。純一もアリスもはあっさりと開いてしまったことに驚き、呆然としてしまった。

「お兄ちゃん、月城さん、どうしたの?」
「ああ、これがちょっとな」

 料理があらかた終わったのでテーブルの上を不幸と布巾を持ってきたさくらのおかげで気まずい空気が薄れほっとした純一は開いた箱を示した。

「あ〜、その箱開いたんだ。誰も開けられなかったのにどうやって開けたの?」
「いや、普通に開いたんだが」
「そうなの? でもボクも杉並君も瀬場さんも開けられなかったんだよ」
「そういわれても開いたものは開いたからなあ」
「う〜ん、ところで何が入っていたの?」

 純一にしてもさくらにしてもなぜ開いたのかはわからない。だからさくらの意識はなぜ開いたのかよりも中に何が入っていたのかに移った。

「中身か、ちょっと待ってろ」

 純一は中身を覗き込み、顔をしかめながら一番上にあったものを取り出した。

「手紙?」
「みたいだな」

 純一が取り出したのは封の閉じた封筒だった。感触からして中には紙が入っていることがわかるからおそらく手紙で間違いない。ただ問題なのはその宛名が純一宛になっていることだ。

「お兄ちゃん宛だね、中を見てみようよ」
「待て、これは何かのドッキリか?」
「う〜、ドッキリなんてひどいよお兄ちゃん。ボクがそんなことするわけないじゃないか」
「杉並の口車に乗せられている可能性はある」

 さくらやアリスにとって見れば言いがかりにしか思えないかもしれないが純一にとっては必死だ。怪しい謎の箱の中から怪しい自分宛の手紙が出てきたのだ。不思議な現象であろうとそれが魔法やら超能力やら宇宙人やらなら簡単に受け入れてみせるが、そうでないものならばやはり不安と不信感が浮かんでくる。ましてや純一には杉並という謎の塊である悪友がいるのだ、疑うなというほうが難しい。

「白河先輩」

 アリスが小さく呟くと二人の目がそちらに向いた。

「その箱、白河先輩が持ってきました」
「ことりが?」

 純一は首をかしげた。ことりがさくらの家を訪れた時は純一も一緒だったがこんな箱は持っていなかった。鞄に入れることも不可能ではないかもしれないがそれならそれで鞄が変な形になっていただろうし、他に何かを入れることができないだろう。

「持っていなかったよな?」
「うん、こんな大きな荷物を持っているようには見えなかったよ」

 さくらもことりがそんな物を持っていた記憶はない。

「白河先輩は物置にあった物だと言っていました」
「…………」

 物置、純一宛、純一にしか開けられない箱。この三つのキーワードから二人の頭には同じ答えが浮かび上がった。

 ――――ばあちゃんの遺産――――

「……これが遺産か」
「……ええっと、他には何が入っているの?」

 驚いたが、驚いてばかりもいられない。さくらに言われて純一は他に何があるのか、覗き込んで、固まった。
 その様子におかしなものを感じた二人も箱の中を覗き込み、その原因に気がついた。
 異様な大きさの本が一冊あった。その大きさや純一の持っているいかなる辞書よりも大きく、並みの辞典よりもはるかに分厚い。
 さくらは見た目は子どもだが実は博士号を複数持っている天才少女だし、アリスも以前同じくらいの大きさの植物辞典を必死に見ていたので大丈夫だが、純一にはダメージが大きかった。とはいえ別に純一が分厚い本がダメだというわけではない。こんなものが遺産として出てきたために固まったのだ。
 そして遺産である以上は持って帰らなければならない。もし現在初音島の外にある看護学校に通うために島を出ている義妹の音夢がこの巨大な本と朝なかなか起きてこない純一を見たら命はない。巨大な本を腹の上に載せたまま眠る自分の姿を思い浮かべると背筋が凍る思いがした。

「なあさくら」
「何?」
「これ、ここに置いて行ったらダメか?」
「うーん、やっぱりおばあちゃんの遺産だったらおにいちゃんが持って帰るべきだと思う」
「だよな……」

 純一もそれはわかっている。だからこそ気分が沈んでいるのだ。

「だけどまだそうと決まったわけじゃないし、手紙を読んでみようよ」
「そ、そうだな」

 気を取り直して手紙を読んでみることにする。封を開けてみると中身には次のようなことが書かれていた。





『 前略 純一へ

 おまえがこの手紙を読んでいるということはおまえの周りで何かが起きたのか、それともメッセンジャーがおまえの元に現れたのかだろう。もし後者であれば幸いだね。彼、あるいは彼女が全てをおまえに教えてくれるはずだ。だけどもし前者であったならおそらくおまえは何もわからないいままこの手紙を読んでいるんだろう。だから最低限のことはこの手紙に書いておくよ。
 まず最初にこの手紙と一緒に入っている物について教えておくよ。これは魔法に関係するアイテムであたしが作った物だよ。その本はゼファー・ラジエルを基にして作った魔導書で本物に比べれば格はだいぶ落ちるけど役に立つはずだよ。
 次にメッセンジャーについてだね。メッセンジャーは何人かいるから誰が来るのかわからない。ただみんな共通して鍵を持っているからわかるはずだよ。みんなあたしの知り合いだから信用してくれていいよ。何かあったら頼るといい。

 そしてなぜあたしがこんなものをおまえに残すのか、それについては今はまだ教えられない。いずれメッセンジャーの誰かが教えてくれるだろう。今言えるのはやがておまえに必要になると思ったからだということだけだよ。
 最後におまえに言っておくよ。
 純一、おまえはいずれ大きな流れに巻き込まれるだろう。その流れに乗ることもできるだろう、外れることもできるだろう。それを決めるのはおまえ自身だよ。杭の残らない選択をしておくれ。
 ああ、もう一つ言い忘れていた。魔導書を開ける時は部屋で一人でやんなよ。あまり周りに迷惑かけるんじゃないよ。
魔女より』





「魔導書?」
「ゼファー・ラジエル……」

 その突拍子もない内容に純一に困惑し、その手紙の中に書かれた物について知っているさくらは驚愕に震えた。

「さくら、どうしたんだ?」
「お兄ちゃん、ゼファー・ラジエルだよ! エノクの書だよ! なんで落着いてられるの!?」

 興奮するさくらに対して純一はあくまで冷静だった。なぜさくらがそこまで興奮するのかわからなかった。なぜならそれがどういうものなのかまったく知らなかったからだ。

「ゼファー・ラジエルってなんだ?」

 それを聞いてさくらの熱が一気に冷めていった。
 たとえどんなにすごい物であったとしてもその価値を知らない者にとっては何の意味もない。

「あのね――――」

 しかたなくさくらは純一に説明し始めた。





   ゼファー・ラジエル。エノクの書とも呼ばれる一冊の本。智を司る大天使ラジエルが世界の理の全てを記した本であるといわれ、エノクに渡された本である。その本の力は凄まじく、その本を読んだエノクは天使以上の力を得たとされている。その後何人もの手に渡ったとされているが、最後はその力を妬んだ天使によって処分されている。
 ゼファー・ラジエル、それは天使からさえも恐れられる世界の理の全てを記した恐るべき本なのだ。





 さくらの説明を聞いた純一はだらしなく口を開けて呆然としていた。
 天使から妬まれるほどに人間を格上げしてしまうような魔導書である。それが一体どれほどすごいものなのか純一にも良くわかった。

「レプリカみたいだし格も落ちるって書いてあるからそこまでの物じゃないと思うけど、とんでもない力を持ったアーティファクトなのは間違いないと思う」
「アーティファクト?」
「アーティファクトっていうのは魔法のアイテムのことだよ。伝説の剣とか魔法の杖とかそういう物」
「なるほど」

 さくらの説明に納得した純一は魔導書を眺める。考えるのはなぜこんな物を自分に残したのかということである。はっきり言って何もわからない純一よりもさくらが持っていたほうが為になりそうな物である。
 手紙には教えられないと書いてあったがだがこれが必要になるほど大変になることがあるのは間違いない。まさか今の状況を予知していたわけではないと思うがまさに今の状況にうってつけのように思える。だがそれならばそう書いてあるだろうから別のことに必要になるということなのだろう。
 そしてメッセンジャー。複数いることとばあちゃんの知り合いだということしかわからないが、彼らが何らかの鍵を握っていることは間違いなさそうである。

「……かったりぃ」

 疑問が増えるばかりで一向に減ってくれない今の状況に、いつもの口癖を口にして純一は考えるのをやめた。





 夕食を終えて自分の家に戻った純一は自分の部屋に持ち込んだ箱の中身をどうしようかと悩んでいた。

「役には立つんだろうしな」

 どんな力があるにしても今の純一たちが置かれている状況の役に立つ力になってくれることは間違いない。だがそれを使うということは何か決定的に重大なことを決断することのように思える。そう思うと簡単にそれを行うことができなかった。
 しかしその反面戦力が足りないのも事実だ。杉並と瀬場が動いているが道具はともかく人員まで集めるのは不可能だろう。
「しかたないよな」

 純一は魔導書を取り出し、表紙を開いた。そしてその瞬間純一の意識が飛んだ。





「――ん」

 意識を取り戻した純一は背中に当たる冷たく固い感触に身を起こした。

「ここはどこだ?」

 見渡す限り何もなく地の果ても見えずただ地平線が見えるだけ。しかも目に入る色は白ばかり、病院の清潔な白ではなく無機質さを感じさせる白だ。
 現実ではありえない、そして夢の中でもありえない。こんな夢の世界は見た事がない。

「ようやく目が覚めたか」

 声が聞こえてきたほうを振り向き、息を呑んだ。そこにはよく見慣れているはずの人がいた。

「何を驚いている」

 同じ音を発しているはずのその声があまりに感情を感じさせないのでやけに違う声に聞こえる。

「おまえは……」
「見ればわかるだろう」

 そいつが発する声を聞き、姿を見て、純一は搾り出すようにそいつに向けて言う。

「……俺?」
「そうだ」

 そこにいたのは朝倉純一本人に他ならなかった。

「とりあえず訊きたいことはいくつかあるんだが……なんて呼べばいい?」

 長い沈黙を挟み、純一が尋ねた。

「そうだな、ドッペルゲンガーとでも呼んでもらおう」

 もう一人の自分(ドッペルゲンガー)と名乗った存在に純一はどうも違和感を感じた。だがそんなことにかまっている場合ではないと思い、訊きたいことを口にする。

「ここはどこなんだ?」
「ここはおまえの精神世界だ」

 答えの意味はわからないがとりあえず答えてはくれるようだ。

「どうすれば帰れる?」
「俺に勝てばいい」

 そこで初めてドッペルゲンガーが表情を変えた。禍々しい笑みに。

「ただし、勝てればな」

 ドッペルゲンガーが右手を純一に向けて掲げる。

ファイヤーボール

 直径一メートルほどの火球が生じた。

「うわ!」

 その火球を見て純一は突然激しい頭痛を感じて頭を押さえた。
 ドッペルゲンガーはそんな純一を見てさらに笑みを大きくして火球を放った。

「くそ!」

 頭痛を歯を食いしばって耐えて火球を避ける。だが火球は地面につくと爆発して純一を吹き飛ばす。
 純一は吹き飛ばされながらも受身を取ってダメージを抑えた。なぜか頭痛も治まった。

「よく避けたな。だがこれはどうだ? ウォータースパイク

 ドッペルゲンガーが新たに魔法を使うと再び頭痛が生じる。だがそれに耐えて前へと飛び込んだ。次の瞬間さっきまで純一がいた場所に五つの細い水の針が地面から生えた。もし前に出ていなければ串刺しにされていただろう。
 純一は今何が起きたのかわからなかった。ただ頭痛がしてなぜか前に跳ばなければならないと感じたから跳んだだけだった。

「なるほど、次はこれだ。アースグレイブ

 頭痛が生じたが今度は身体が勝手に反応することはない。そしてその判断が正しかったと証明するように純一の左右に三本ずつ石の柱が生えた。もし横に移動していたならばまともに受けていただろう。

「さらにファイヤーボール

 再びドッペルゲンガーが火球を放つ。
 避けないとと思うが左右は石の柱で塞がれている。前に出ても後ろに下がってもまっすぐに純一に向かってくる火球を避けることはできない。
 純一の頭痛がひどくなる。頭が割れるように痛い。だが純一はその中で何かに突き動かされるように動き出す。
 右手を火球に向けて掲げ、頭ではそれ・・を思い描く。

アースグレイブ!」

 純一が叫ぶと共に正面に三本の石の柱が二列、火球を遮るように伸びる。それと同時に頭痛が消えていく。
 火球が柱に衝突し、爆発する。
 前列の柱が爆発で砕けるが破片は後ろの柱で防がれる。爆風の隙間を抜けてやってくる高熱の風が肌を焼き、目を開けることさえも辛い。
 だが純一は前を向いて炎の先にいる相手を見据えた。向こうもまた純一を見て笑う。

サンダーボルト
サンダーボルト

 炎が消えた瞬間二人の声が重なり二つの雷光が放たれる。
 純一にもはや頭痛はない。なぜ自分がこうも魔法が使えるのかわからない。なぜ自分がそれを知っているのかわからない。だがそれができるということだけはわかった。そして何をするべきなのかも。

ファイヤーストーム
ウォータースクリーン

 純一が放った炎がドッペルゲンガーを包むように進み、水の幕が炎の進行を防ぐ。
 ぶつかり合う炎と水が二人を分ける壁となり、互いの姿を隠した。

ストーンブラスト

 純一は石礫を放ち横へと走る。礫は炎と水を突き抜けていったが純一はそれが当たったとは思わなかった。ほどなくして先ほどまでいた場所を雷光が通り抜けた。

「凍てつく刃よ我が敵を貫く力となれ」

 相手がこちらを見失った隙に純一は詠唱を始めた。

フリーズランス!」

 全部で十二の氷の槍が現れ、弱まった炎の中に見える影に向けて高速で飛び立つ。
 ドッペルゲンガーを中心に風が巻き起こり炎が消える。そしてドッペルゲンガーは純一に気がついた。
 だがもう遅い。
 氷の槍は風を突き抜けて進む。その軌道にわずかなずれも生じていない。
 氷の槍がドッペルゲンガーの周辺に降り注ぎ、砕けていく。

「俺の勝ちだな」

 氷の破片が舞い上がり光を反射している場所に向けて純一が言う。

「ああ、おまえの勝ちだ」

 それに応えたのは氷の破片の中で無傷で立っているドッペルゲンガーだった。別に純一は驚かない。最初から全部外れるように放っていたのだ。

「今度こそ名前を教えてくれるか?」
「いいだろう。俺の名はゼファー・サラ、魔女芳乃サラが創りし魔導書だ」
「やっぱりあの魔導書か、ゼファーでいいか?」
「かまわん」

 魔導書を開いて連れ込まれたのだから予想していてもよかったかもしれないが、純一がそうだと気がついたのは頭痛がなくなった後になってからだった。

「なんで俺は魔法を使えるんだ?」

 もともと和菓子を生み出す魔法は使えたがそれだけだ。それ以外の魔法について教えてもらったことはない。それなのに今の純一はいくつもの魔導式を知っていた。そしてそれを使うことができた。

「創造主はおまえに魔法を教え、そして脳に数多の魔導式を刷り込んでいたのだ」
「だけど俺は今までこれしか使えなかったぞ」

 純一は右手に饅頭を作って見せた。純一が以前から使っている唯一の魔法だ。

「それは記憶が封印されていたからだ。人としての日常に強大な力を持つ魔法は必要ない。むしろ害になる可能性のほうが高い。だから創造主はその記憶が俺との干渉によって思い出せるように設定した」
「じゃあなんで頭痛がしたんだ?」
「それは脳のずっと使っていなかった部分を酷使したからだ。身体でも同じであろう?」

 たしかに普段使わない筋肉を使うと痛む。それと同じことなのだ。

「なんで俺に残したんだ? 俺の巻き込まれる流れってなんだ?」
「それは俺も教えられていない。ただおまえでなければならなかったということだけはたしかだ。さくらではダメならしい」
「さくらじゃダメで俺でなけりゃいけないってどういうことだ?」
「わるいがそれはわからない」

 純一とさくらを比べればさくらのほうが頭がいいし魔法使いとしても優れているはずだ。だがそれでも純一ではなければいけないというのはどういうことなのか。それが純一には理解できない。なぜ自分なのかがわからない。だがばあちゃんがそういうのならばきっとそうなのではないかとも純一には思える。

「さて、そろそろおまえもこの世界から出るべきだろう」

 思考にふける純一をゼファーが引き戻した。

「今のおまえは気絶した状態になっている。誰かが見たら大騒ぎになるかもしれん」
「げっ」

 純一はなぜ一人でいるときに開くように注意されたのか納得した。いきなり気絶されたら周りにいる人間はまちがいなく慌てるだろう。

「どうすれば戻れるんだ?」
「心を静かに落ち着けろ。後は俺に任せておけばいい」

 純一は言われた通りにした。するとゼファーは右手を純一の胸に当てた。

「いくぞ」

 ゼファーが言うと純一の身体の表面に波紋が広がっていく。

「うおっ!」
「落着け、何の心配もない」

 ゼファーの右手が純一の身体の中へ沈んでいく。手を飲み込み、手首を飲み込み、腕を飲み込んでいく。それにともない消えたはずの頭痛がよみがえってきた。
 ゼファーの肘までが沈んだところで純一の意識は途切れた。





 純一が目を覚ましたのは自分の部屋だった。まだ少し痛みの残る頭を押さえて周りを見回すと目覚まし時計が目に入った。短針は一時をさしている。

「何時間気絶してたんだ?」

 考えても気絶した時間がわからないので考えるのをやめた。そして手に持った魔導書ゼファーに視線を移した。
 ゼファーと一つになったことでその使い方は理解した。記されている魔法の全てが使えるようになったわけではないが純一の力はかなりの向上を見せている。これで少しは戦力不足が解消されただろう。

 だが純一には別の問題ができた。それは自分が何をすることになるのかということだ。今回のことは結局ほとんど杉並たちに任せることになるだろう。だがいずれやってくることは純一自身がどうにかしなければならない問題になるのだろうと感じていた。はたしてそれが何なのか、そして何とかできるものなのかわからない。

「かったりぃ」

 純一はばあちゃん譲りの口癖を呟き、新たな眠りに就いた。







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